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역사문화 이모저모

부여 부소산성 출토 금동광배(扶餘扶蘇山城出土金銅光背)에 대한 나의 중간 결론

by taeshik.kim 2019. 1. 5.
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夫餘 扶蘇山城 東門址 出土 金銅光背 前面




1. 扶餘 扶蘇山城 東門址 出土 金銅光背 뒷면 銘文은 ‘何多宜藏治佛’이며, 그 意味는 “하다의장(何多宜藏)이라는 사람이 佛像을 造成했다”는 뜻이다. 이를 從來에는 ‘何多宜藏法師’라고 읽은 것은 明白한 誤讀이다. 



光背後面銘文中'何多'



2. 이 金銅光背를 裝着한 佛像을 만든 ‘何多宜藏’은 6~7世紀, 主로 佛像을 만드는 일에 專門的으로 從事한 匠人 姓과 이름이다. ‘何多’가 姓氏다. 


3. 이는 古代 日本에 登場하는 韓半島 渡來系 有力 家門 중 하나인 ‘하타씨[秦氏]’의 由來, 或은 性格을 가늠하는데 매우 重大할 수 있다. 



‘何多宜藏治佛’



4. 古代 日本 姓氏 ‘秦’는 百濟에서 渡來한 家門이다. 


5. 秦氏는 日本書紀와 新撰姓氏錄 等의 古代 日本 文獻을 보면, 韓半島系 渡來人 중 弓月君을 始祖로 삼거니와, ‘弓月’에 대한 古代 韓國語 옮김이 바로 ‘hada’다. 現代 韓國語로 ‘弓’을 ‘활[hwal]’이라 읽고, ‘月’을 ‘달[tal or dal]'이라 읽거니와, ’弓月‘이 바로 ’hada' 혹은 ‘hata'임이 明白하다. 





  

1. 扶餘扶蘇山城東門址出土金銅光背裏銘文は「何多宜藏治佛」であり、その意味は「何多宜藏という人が佛像を造成した」という意味である。これ從來には「何多宜藏法師」と読んだのは明白な誤讀ある。


2. この金銅光背を裝着した佛像を作った「何多宜藏」は6〜7世紀、主に佛像を作ることに專門的に從事した匠人姓と名前である。 「何多」が姓氏だ。





3. これは古代日本に登場する韓半島渡來系有力家門のいずれかである「秦氏」の由來、或は性格を見極める上で非常に重大ことができる。


4. 古代日本姓氏」秦」は百濟の渡來た家門である。



'治佛'



5. 秦氏は日本書紀と新撰姓氏錄等の古代日本文獻を見ると、韓半島系渡來人の弓月君を始祖と思って、「弓月」の古代韓國語訳がまさに 'hada」だ。現代韓國語で「弓」を[hwal]と読んで、「月」を「tal / dal]」と読み、「弓月」がまさに「hada」あるいは「hata」であることが明白である。

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