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百済王陵級墓「松山里29号墳」、88年ぶりに再び発見された

by taeshik.kim 2021. 6. 28.
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백제 왕릉급 무덤 '송산리 29호분', 88년만에 다시 드러났다
박상현  / 2021-06-28 09:26:49
국립부여문화재연구소, 발굴조사 결과 발표…출토 유물 거의 없어
"무령왕릉보다 조성 시기 늦을 가능성 커"

 

 

백제 왕릉급 무덤 ′송산리 29호분′, 88년만에 다시 드러났다

국립부여문화재연구소, 발굴조사 결과 발표…출토 유물 거의 없어"무령왕릉보다 조성 시기 늦을 가능성 커"(서울=연합뉴스) 박상현 기자 = 일제가 1933년 조사한 공주 송산리고분군의 백제 왕

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百済王陵級墓「松山里29号墳」、88年ぶりに再び発見された

国立扶余文化財研究所、発掘調査結果を発表…●出土遺物はほとんどない

「武寧王陵より造成時期が遅れる可能性大」

 


(ソウル=聯合ニュース)日本による植民地時代の1933年に調査された公州(コンジュ)·松山里(ソンサンリ)古墳群の百済王陵級の墓、いわゆる「松山里29号墳」が88年ぶりに行われた発掘調査で姿を現した。

墓の主を類推できる遺物は見つかっていないが、位置や構造から見て、松山里古墳群の中核遺跡である武寧王陵より造成時期が遅れる可能性が高いと分析された。

国立扶余(プヨ)文化財研究所と公州(コンジュ)市は日本による植民地時代に調査したが、その現況と位置が正確に知られていない松山里29号墳を発掘し、規模が王陵級であることを改めて確認したと28日、明らかにした。

宋山里古墳群には百済熊津都邑期(475~538)の王陵と王陵級の墓が集まった場所である。 発掘50周年を迎えた武寧王陵と1~6号墳と命名された古墳など7基の墓が整備されている。

渓谷を挟んで西に発掘50周年を迎えた武寧王陵と5·6号墳があり、北東に1~4号墳が存在する。 1~5号墳は百済の典型的な墓様式である橫穴式石室墳であり、武寧王陵と壁画のある6号墳はレンガを積んで造成した塼築墓である。

今回、研究所が調査した29号墳は、6号墳から南西に約10メートル離れた場所で発見された。 29号墳、6号墳、5号墳は三角形をしており、北の頂点に当たる6号墳の北東に武寧王陵が位置している。

 



日本による植民地時代に教師であり盗掘者だった軽部慈恩(カルベ·ジオン)が29号墳の存在を理解し、その後、有光教一らが正式に調査して装身具、鉄器彫刻、冠釘などを訪れた。

29号墳が注目されてきた理由は、墓室の壁には1-5号墳のように割った割り石が使われたが、2点の棺は武寧王陵や6号墳のようにレンガを敷いて作られたからだ。 このような特徴は、日本による植民地時代に撮影されたガラス乾板の写真にも残っている。

国立扶余文化財研究所の関係者は「29号墳に似た墓が5号墳で、5号墳は床ではなく管台だけレンガで作られた、29号墳に使われたレンガはほとんど模様や文字がないが、武寧王陵のレンガのように蓮華模様と『中方』の文字があるレンガが少量含まれている」と説明した。

この関係者は私見であることを前提に「位置、構造、遺物などを考慮すると、武寧王陵と6号墳を作った後に5号墳を造成し、29号墳を築造したようだ」と述べた。

松山里29号墳は、弓のように曲がった弓隆式の天井があったと推定される上部が、日本による植民地時代にもすでに流失した状態であり、下部の調査が集中的に行われた。

玄室の規模は南北で長さ340-350センチ、東西で長さ200-260センチだった。 これは松山里1~4号墳と類似しており、6号墳より大きいという評価を得ている。 管帯の長さは東に約250センチ、西に約170センチある。

墓の部屋の壁には石を積み上げ中に刺身を塗って仕上げており、入り口にはレンガを何段も載せて閉鎖した。 古墳入口から墓室までの道である羨道は東に偏って造成され、墓室と同じく床にレンガが使われている。 羨道から続く墓道は2.7mのみ現存しているが、始まりの部分ではレンガで作られた排水路が確認された。

研究所は今後整備のためデジタル記録化作業を行い、VR制作のために映像を撮った。 これを通じて消えた上部構造をグラフィックで復元する予定だ。

研究所の関係者は「松山里29号墳を今後どのように活用するかは決まっていない、下半期には扶余·陵山里古墳群の墓を発掘する計画」と述べた。

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