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NEWS & THESIS

慶州寺院の庭園石が新羅の神道碑?

by 세상의 모든 역사 2022. 5. 27.
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慶州寺院の庭園石が新羅の碑石だった…「最古の神道碑」
朴洪国·李泳鎬教授、8世紀の碑文80字判読し「恭順阿飡神道碑」と命名
「国立慶州博物館「飡之碑」の冒頭部分…字は名筆金生が書いたようだ」

 

Part of oldest identified stele in Korea, Silla Sindobi discovered

 

Part of oldest identified stele in Korea, Silla Sindobi discovered

SEOUL, May 26 (Yonhap) -- A part of Silla Sindobi Stele, believed to the oldest among the identified ones in Korea, was discovered in Gyeongju, North Gyeonsang Province. It has been told that Sindobi ...

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(ソウル=聯合ニュース)国内で知られた神道碑の中では最も古いものと推定される新羅神道碑の一部が慶尚北道慶州で発見された。 死者の行跡を記した碑石である神道碑は高麗時代以前の実物が全くないと知られてきた。(***

この碑石は国立慶州博物館が所蔵する「飡之碑」の右上部分と判明した。 飡之碑は1963年11月に発見され、頭石である螭首破片1点と碑石破片2点が残っている。 この数に「飡之碑」という文字が刻まれている。

 

 

 



考古学研究者の朴洪国威徳大学教授は26日、慶州南山洞にある寺院「南山寺」の庭園にあった石材を調査し、8世紀に作ったものと推定される「恭順阿飡の神道碑」であることを確認したと発表した。

南山寺は飡之碑発見場所から南に約500mの距離にある。 今回確認された碑石は材質が花崗岩であり、横21~30㎝、縦56.5㎝、厚さ25.6㎝だ。

朴教授は国立慶州博物館にある螭首サイズを根拠に碑石が本来横70~80㎝、縦160~180㎝だったと推算した。 また、精巧に彫刻した螭首にふさわしい亀の形をした台石である亀趺があった可能性が高いと見た。

 

 



碑石には片面だけに縦1.8~2.8㎝の文字約100字が残っている。 朴教授は新羅史を専攻した慶北大学の李泳鎬教授とともに碑文80字を判読した。

碑文の一番右側には「恭順阿飡公功臣道之碑」という文字がある。 「恭順」は碑石の主の名前で、「阿飡」は新羅17等関係のうち6等に該当すると朴教授は説明した。 彼はこの文を土台に碑石を「恭順阿飡神道碑」と命名した。

朴教授は「慶州博物館飡之碑は重要な金石文であるにもかかわらず判読内容が断片的で研究者たちが作成した論考が一編も出てこなかった」とし「飡之碑と材質、書体が同じ新しい碑片を通じて実体を概略でも把握できるようになった」と話した。

朴教授は碑石製作時期の端緒となる単語として7行に出てくる「天嶺郡」を挙げた。 天嶺郡は慶尚南道咸陽の旧地名で、757年から使用された。

 



彼は「天嶺郡という文字が新羅金石文で確認された初めての事例で、碑石は757年以後に製作されたことが分かる」とし「この数をまた別の新羅碑石である武烈王陵碑や800年頃に完成した鍪藏寺址阿彌陀佛造像碑碑の螭首と比較すると800年以前の作品と考えられる」と話した。

続けて「以前まで最も古い実物神道碑は朝鮮太祖乾元陵神道碑だったが、新羅神道碑が発見されたという点が非常に驚くべきだ」と強調した。

李教授は碑文に「新羅国の金氏」を意味する「新羅国之金氏」と「我金氏」という一節があると話した。 彼は伝説の古代帝王である皇帝の息子「少昊)」と「太宗大王の孫」を意味する「太宗大王之孫」という部分に注目した。

李教授は「歴史書で恭順という人を見つけることはできなかった」として「恭順が太宗武烈王孫なのか、それとも恭順の祖父や父親が武烈王孫なのかも明確ではない」と説明した。

それと共に「金氏関連の一節で新羅時代の金氏の自尊意識を垣間見ることができる」として「阿飡は6頭品が登れる最高の官等だが、かなり大きな神道碑が建てられたという点で恭順は真骨である可能性が高い」と指摘した。

碑文には正字体である楷書、楷書と草書の中間に該当する行書が全て使われた。 最も多く使われた書体は行書だ。

朴教授は、碑石の書体が中国の有名な書道家王羲之の書體と似ているが、新羅の名筆で名声が高かった金生が碑文を書いたものだと強調した。

朴教授は「文字から筆力、滑稽、自由奔放さの中に奇異な品格が感じられる」として「金生文字を集めて作ったという朗空大師碑と似た文字が多い」と伝えた。

続けて「この碑石は同じ文字をわざと違うように書くほど芸術性がある」として「8世紀以前の碑石の中で、行書、草書を一緒に使った例は非常に珍しい」と付け加えた。

南山寺住職のソンオ (선오) 僧侶は20日、庭石を整理する途中、かすかな文字を見た後、朴教授に判読と考証を頼んだ。 朴教授から碑石に関する説明を聞いたソンオ僧侶は25日、碑石の国家帰属のため慶州市に埋蔵文化財発見申告をした。

(終わり)

 

*** 編集者注

記事文で言う「死者の行跡を書いた碑石である神道碑は高麗時代以前の実物が全くないと知られてきた。」という表現は問題がある。 新羅時代の神道碑として知られているものは多い。

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