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NEWS & THESIS

「新羅に金銅版で覆った華麗な階段の欄干の台座があった」

by taeshik.kim 2022. 1. 8.
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"신라에 금동판으로 감싼 화려한 계단 난간 받침돌 있었다" / 2022-01-06 06:30:02

박홍국 교수, 경주읍성 동쪽 석재 55점 분석…"전례 없는 유물"
"금동판 고정한 못 구멍 뚜렷…원위치 알 수 없으나 복원 기대"



"신라에 금동판으로 감싼 화려한 계단 난간 받침돌 있었다"

박홍국 교수, 경주읍성 동쪽 석재 55점 분석…"전례 없는 유물""금동판 고정한 못 구멍 뚜렷…원위치 알 수 없으나 복원 기대"(서울=연합뉴스) 박상현 기자 = ′황금의 나라′ 신라에는 계단

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「新羅に金銅版で覆った華麗な階段の欄干の台座があった」
慶州邑城の東にある石材55点を分析「前例のない遺物」
「金銅版固定した釘の穴がはっきり…」元の位置は分からないが、復元に期待」


朴相炫記者=「黄金の国」新羅には階段の両側に設置された欄干台まで金銅版で覆った華麗な建築物があったのだろうか。

慶州邑城の東側に多数置かれている用途不明の石材のうち、統一新羅時代に金銅版で装飾が施された階段の欄干台石の一部と推定される石造遺物が多量に存在するという研究結果が出た。

国内に金銅版で装飾を施した痕跡が残った石塔や仏像はあるが、仏教信仰の対象ではない階段の手すりの台石に金銅版を付着した事例はなかったという点で、研究価値のある貴重な資料と評価されている。





考古学を専攻した朴洪國威德大教授は6日、慶州邑城東門跡近くの「石造りの庭」の石材を分析し、7世紀末から8世紀の間に製作されたとみられる新羅の欄干の階段石の破片55点を初めて確認したと発表した。

石造物の庭は1985年以降に行われた慶州邑城の発掘調査で見つかった石材を集めた場所である。 石塔·石橋の部材をはじめ、礎石などが配置されている。 しかし、まだ精密な調査は行われておらず、住民だけでなく研究者も関心をほとんど示していない。

朴教授は新羅史学会が発行する学術誌「新羅史学報」第53号に掲載した「新羅欄干台石分析」論文で石材一つ一つを撮影した写真を収録し、遺物を4種類に分類した。

朴教授は、石材55点が同一の階段の手すりの支えという根拠として、大きさや彫刻様式を取り上げた。

欄干の台石はすべて天に向けた面の幅が21センチ前後であり、側面の高さは33~33.5センチである。 側面には、上と下の方に盛り上がった長い帯状の装飾がある。 帯装飾の幅は上に約7㎝、下に約9㎝がある。

上下の帯装飾の間、中央の部分は凹んでいるが、ほとんどの場合、最後に平行四辺形の装飾が施されている。 高さは帯装飾が1.5~2㎝、平行四辺形装飾は0.5~0.6㎝である。 平行四辺形装飾は、美術史用語で「宇宙」(建物の角に立てる柱)または「テンジュ」(角ではない所に支える柱)という。

ただし、手すりの台座は全て形が完全ではなく、長さがまちまちである。 そのうち30~39センチの石材が20点と最も多い。 最も短い遺物は約22センチ、長い遺物は81センチである。 全長は約24mである。 手すりが階段の両側にあれば、片方の長さは12メートルになる。




朴教授は「手すり台座は規格がほぼ同一で、上面は比較的精巧に加工されているが、下面はそうではない」とし「石塔部材にある隅柱と撑柱は長方形の形だが、手すり台座は平行四辺形なので、傾きが30-32度の階段の両側に設置されたことが分かる」と主張した。

続いて「平行四辺形の隅柱または撑柱を両側に飾った点が重要だが、石塔部材であれば人の目に見える片面にだけ隅柱や撑柱を彫ったはず」とし「石造物の形態や彫刻のレベルから見て統一新羅時代の遺物に間違いない」と述べた。

また壊れた手すりの支え石が慶州邑城で発見されたことについて「高麗時代以降、城を築きながら以前の時代遺跡の石材を持ってきて再利用したようだ」とし「慶州邑城の城体のあちこちに残っている石塔の石などがこうした事実を裏付ける」と付け加えた。

それでは欄干の台石に金銅版を貼ったという根拠は何だろうか。

朴教授は、4つのタイプの台石のうち2つに当たる27点で穴がはっきりと確認されたという事実を強調した。 穴は金銅版を付着した後、固定するために釘を打った跡だというのだ。 実際、一部の石造遺物には当時打ち込んでいた釘が残っていたという。

Aタイプに分類した14点は、上下の帯装飾に直径0.8-1.8センチの穴が5-7個あり、平行四辺形装飾の側面には半円形の溝が長くある。

2番目の種類である「Bタイプ」13点は下側の一部が三角形の形に突き出ており、上面に直径が約0.7㎝の穴1-4個ある。

朴教授は、国立中央博物館の庭園にある葛項寺址三重石塔と国立慶州博物館で見られる高仙寺址三重石塔に一定の間隔の穴があり、この穴が金銅装飾を付けていた跡だと説明した。




それととも「三国遺事」の明朗神印条に出てくる「竜王が受注した金で塔像を飾ると、ひときわ輝くため金光寺と言った」という記録を提示した。

また、慶州仙桃山磨崖仏から金銅板の破片が付いた釘穴が発見され、慶州月池から木の欄干に付着した金銅装飾板と蓮華のつぼみ模様の装飾が出土したと指摘した。

朴教授は「釘穴の位置から見て下面を除いた3面を金銅板で覆ったようだ」とし「美観上、上面の釘穴を側面より小さく処理した」と述べた。

朴敎授は「穴に残っている詰め物の成分を浦項工科大学ナノ融合技術院に依頼して分析したところ、鉛が88.7%だった」とし「今日コンクリートの壁面に重いものを吊る時に穴を開け、釘がよく刺さるようにプラスチック詰め物を入れるように釘を打つ前に比較的柔らかい鉛を挿入した」と推定した。

朴教授は「階段の手すりの台座が人為的に壊れた後、城石に使われたため、全体の姿を推測することが難しくなった」とし、台座の本来の位置と連結方式はまだ把握できていないと述べた。

石材を直接見た朴方龍新羅文化遺産研究院長は「石材が金銅版で装飾された新羅の欄干の台石だという見解に同意する、皇龍寺級寺院や宮廷の重要な殿閣にあった遺物のようだ」と述べた。

続いて「彫刻に分かれた石材を研究して接合すればある程度復元できると予想される、新羅建築物と石造文化財の研究に大いに役立つ」と付け加えた。

(終わり)


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Editor's note

誰も目を向けなかった石物を執拗に掘り下げ、その用途を究明しようとした執念の文である。 もちろん著者の主張は間違っているかもしれない。 しかし、その用途を追跡し、それを明らかにしようとしたという点で、非常に重大な意義を持つ。
私は著者の主張に賛同する。 労苦に拍手を送る。

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