扶余·王陵園で石を載せた土器2点発見…「葬儀文化研究の手掛かり」
4号墳発掘調査…「土器内部の有機物分析を進行中」
(ソウル=聯合ニュース)朴相炫記者=百済泗沘都邑期(538~660)の王陵級の墓が集まっている忠清南道扶余王陵園の古墳の入り口に平らな割れた石を蓋のように載せた土器2点が発見された。
このような土器埋納の形態は百済の古墳で初めて確認された事例で、百済の葬儀文化と祭儀過程を研究する上で重要な手がかりと評価されている。
国立扶余文化財研究所は23日、扶余·王陵園4号墳'西上塚'の発掘調査により、墓道の床の両側から石を上部に覆い、まっすぐに立てた土器をそれぞれ発見したと発表した。
2つの土器は高さ49センチ前後とほぼ同じで、形も類似していることから意図的に一緒に作られたものと推定される。 蓋の石は、土器の中に入っているものが抜けないようにわざと載せたものと見られる。
土器の内部には半分ほどの土が埋まっていた。 調査団は土器を埋めた後、土が自然に流れ込んだものと判断した。
国立扶余文化財研究所の関係者は「土器はかなり良い形で作られた、蓋をした石は精巧に加工されていない」と説明した。
研究所は、土器が建物を建てる際に悪気を防ぐ、いわゆる「鎮壇具」である可能性があると見ている。
研究所の関係者は「土器を墓の築造前に埋めたのか、棺が入る過程で入れたのかは分からない」としながらも「墓道を造成した後、再び墓道の底を掘り、土器を置いたようだ」と話した。
また「中国でも墓に土器をこのように埋めた例はほとんどない」とし「国立文化財研究院保存科学研究室とともに推進している土器内部有機物分析で意味ある結果が出るかもしれない」と付け加えた。
続いて「文献と考古学の資料が不足する百済の葬儀文化の一面を示す遺物」と強調した。
調査団は日本による植民地時代に調査されたが、図面も残っていない西上塚の正確な規模と構造を把握した。 この墓が典型的な橫穴式石室墳であり、墳丘が比較的良く残っているという事実を確認した。
墓道土器2点の他には特に目立つ遺物はなかった。
国立扶余文化財研究所は来月から、王陵園3号墳の「西下塚」を調査する予定である。 ここには日本による植民地時代に確認された古墳6基と、約50年前の補修過程で発見された古墳1基が整備されている。
研究所の関係者は「3号墳と4号墳はまだ墓の主が誰なのか正確に分からない、4号墳の南近くにある3号墳は現在整備された墳丘の規模と位置が百済時代とは異なるが、発掘調査を通じて古墳の立地と墓の造成順序などを知ることができると予想される」と述べた。
(終わり)
*** 編集者注 ***
韓国と日本の考古学において乱発する鎮壇具という言葉は、根拠も全くない考古学の想像に過ぎない。
したがって、今回発掘された土器2点は、いわゆる鎮壇具という怪物とは全く関係がない。 死者のための食べ物があり、または胎のようなものが付いた痕跡である。
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