백제 유적 '부여 나성' 습지구간 축성 기법 확인
"넓은 범위서 기초공사…흙 5∼10㎝ 두께로 다져 올려"
<調査地点>
百済「扶余羅城」湿地区間の築城技法を確認
「広い範囲で基礎工事…」土を5~10㎝の厚さに切り上げる」
(ソウル=聯合ニュース) 朴相炫記者=百済泗沘時代(538~660)に都城を保護するために外郭に築いた扶余·羅城の北の湿地区間の築造方法が明らかになった。
文化財庁·扶余郡·百済古都文化財団は6日、北羅城から扶蘇山城へと続く地点の発掘調査を行い、現存する長さ60m、最大高さ2m、最大幅14.2mの城壁を確認したと明らかにした。
羅城は全長6.6キロ、白馬江付近の聖人北羅城はおおよそ1キロだという。 調査場所である扶余邑双北里400-3番地一帯は白馬江に流れ込む小さな河川の堤防に接している。
北羅城は城壁を築く前、低湿で軟弱な地盤を固めるために平らな石や山から採取した粘土を敷く基礎工事を広い範囲で行ったことが調査で分かった。
さらに外側には加工した石を積み、内側には土を山のように押し上げながら城壁を作った。 石でできた外側の築石部は、下の方が広く、上に行くほど狭くなる梯形の形で造成されている。
石築部に接する内側の土築部は土を5~10㎝の厚さで繰り返し積み上げた。 城壁の進行方向に沿って幅3.2~5.1mを一つの区域に設定し、墳丘のように土を盛り上げた。 石積み部は土畜部の様相によって形が変わるように築城した点も特徴と分析されている。
遺物としては蓋杯、直口小壷などが収められている。 出土品に基づき、城壁の築造時期は6世紀中頃と推定される。
百済の古都文化財団関係者は「城壁は幅が広かった可能性がある、山城区間ではなく湿地区間の築城技法を確認したという点で意味がある」と強調した。
羅城は百済が熊津から泗沘に遷都した538年頃、都市境界を区分するために築造した施設である。 北羅城では昨年夏、北門跡の遺跡が初めて発見された。
(終わり)
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