성무천황聖武天皇 즉위 때의 대상제大嘗祭 목간 출토
平城京左京三条一坊二坪発掘調査出土木簡について
独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所 都城発掘調査部(平城地区)
調 査 地:奈良市二条大路南3丁目
調査期間:2023 年 10 月 3 日(火)~(継続中)
調査面積:約 1125 ㎡(東西 45m、南北 25m)
木簡出土遺構:大土坑
出土木簡点数:約 1000 点(うち削屑約 850 点)以上(3/18 現在・洗浄中)
共伴出土遺物:土器類・加工木片・植物種子類他(洗浄中)
━━ 概 要 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
発掘調査に関する記者発表の後、大土坑の掘削を実施した結果、1000 点以上(20240318)
の木簡が出土した。その結果、以下の点が明らかになった。
・「大嘗分」と書かれた木簡が出土した。
・木簡に書かれた年紀からこの大嘗祭は聖武天皇のものと考えられる。
・新たな課題も多く、今後も整理作業の進捗に合わせて公表が必要と考えられる。
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1.調査の概要
今回の調査については、1/25 に記者発表を実施し、その概要をお伝えしました。その際
には、
①計画的に配置された掘立柱建物群や坪内を区画する掘立柱塀を確認した。
②多数の土坑とそこに捨てこまれた礎石を確認した。
③左京三条一坊二坪における土地利用の実態が明らかになった。
の 3 点をご報告しました。その際、調査地の官衙比定については言及せず、発表時点では掘
削を行っていなかった大土坑の掘削を行った後に、その出土遺物を踏まえてご説明したい
旨、お話申し上げたところです。
その後、大土坑を掘削したところ、木簡が出土しました。現時点で約 1000 点、最終的に
は 1500 点程度になると見込まれます。この出土木簡中に、非常に注目されるものがありま
したので、これについて先行してご報告申し上げます。
なお、現場からは整理用コンテナ約 250 箱の土を持ち帰って、洗浄中です。
2.木簡出土遺構の概要
木簡は調査区東北で検出した、大土坑から出土しました。大土坑は、平面ほぼ方形を呈し、
東西 2.8m、南北 2.5m、残存する深さは 1.0mです。
最下層には木片を中心とした有機物を敷き込み、その上に粘土を積んで埋め、さらにこれ
をもう一度掘り起こして再び最下層に栗皮・木の葉を主体とする有機物を敷き込み、粒度を
あえて不均一に調整した土を積み、さらにこの土を掘り起こして砂層と粘土層を交互に積
んで埋めています。
非常に入念な埋め方をしており、当該地点を再利用するために地盤沈下
が起きないよう十分な埋め戻しを行ったと考えられます。
木簡は、有機物層、特に最下層の有機物層から多く出土しました。
木簡以外では、上層有機物層で栗皮・木の葉が、下層有機物層では加工木片・木の枝・蓆
(むしろ)等が出土しました。また、数は少ないものの土器も出土しており、奈良時代前半
に属する遺物と判断されます。
3.注目される出土木簡
主な出土木簡は、別添資料の通りです。
A 大嘗祭に用いる物資につけられていた木簡(1・2・3・4)
「大嘗分」という記載から、これらの荷札木簡が大嘗祭のための物資に取り付けられてい
たことがわかります。
B 木簡の時期(5・6)
木簡に見られる年紀は、養老 7 年・神亀元年(5・6)です。完全な下限を示すものではあ
りませんが、神亀元年に集中していることから、木簡はほぼこの時期のものと判断すること
ができます。
また「大嘗分」と書かれた木簡は郷里制(717~740)下の木簡で、この時期に
即位している天皇は聖武天皇のみです。
4.出土木簡の意義と課題
現段階での出土木簡の意義は、概要に示した
1 「大嘗分」と書かれた木簡が出土した。
2 木簡に書かれた年紀からこの大嘗祭は聖武天皇のものと考えられる。
3 新たな課題も多く、今後も整理作業の進捗に合わせて公表が必要と考えられる。
という 3 点です。
大嘗祭は天皇即位後最初の新嘗祭です。近年今上陛下の即位に際して挙行されたことは
記憶にあたらしいところです。
「大嘗」と記した木簡は今回初めての出土です。大嘗祭に関連すると考えられる木簡は造
酒司出土木簡などがありますが、大嘗祭に用いる物資であることを明記した木簡はこれまで出土していません。
木簡の「廃棄時期」の確定は、全木簡を確認し、かつ土器など他の出土遺物の分析を待つ
必要がありますが、神亀元年という年紀や、郷里制下という点から考えると、聖武天皇の次
の大嘗祭は孝謙天皇の大嘗祭(天平勝宝元年(749))まで降りますので、今回の木簡は聖武
天皇の大嘗祭に関わるものとみて間違いありません。
そして、今年は聖武天皇の即位・大嘗祭が行われた神亀元年(724)からちょうど 1300 年
目にあたります。こうした節目の年にこれらの木簡が発見されたことに、大きな驚きを禁じ
えません。
次に、今後の課題について述べます。
大嘗分と書かれていない木簡も、廃棄の一括性の高さから、同じく聖武天皇の大嘗祭に関
連する木簡の可能性が高いですが、今後洗浄作業によって削屑も含めた木簡の全貌を把握
し、かつ土器など木簡以外の遺物も総合的に把握・検討していく必要があります。これらの
作業を通じて、秘儀である奈良時代の大嘗祭の様子が明らかになる可能性があります。
「大嘗分」と書かれた木簡は郡名から考えて備中国から送られています。『続日本紀』の
記録によれば、備前国が由機国・播磨国が須機国です。今後、洗浄作業を進めて、検討して
いく必要があります。
そしてなぜ平城宮の外で大嘗祭に関連する木簡が廃棄されているのか、また発見された
遺構との関係や、これまで推定されてきている「大学寮」との関係なども新たな課題となり
ます。
これらの点については、洗浄・整理作業を進めながら、随時ご報告したいと考えています。
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