부여 가림성서 백제 성벽 드러났다…석축 배수로도 확인
조사단 "조선시대까지 5차례 이상 고쳐 쌓아"…내부엔 3m 깊이 우물
扶餘加林城で百済の城壁が明らかになった…石積み排水路も確認
調査団「朝鮮時代までに5回以上積み直して…」内部には3メートルの深さの井戸
(ソウル=聯合ニュース)百済が忠清南道扶餘に首都を置く泗沘都城(538~660)に都城防御のために築いた扶餘加林城で百済時代の城壁と排水路などが確認された。
文化財庁は20日、扶餘郡、百済古都文化財団とともに加林城の北側区間で発掘調査を行い、土を固める基礎工事を行った後、花崗岩で外壁を造成し、内側は土を積み上げた百済時代の城壁を発見したと明らかにした。
百済城壁は高さが最高5.2mで、幅は12mだ。 長さはおよそ20メートルだ。
城壁の内側からは城と並んで作られた幅0.9~1mの石築排水路が発見された。 排水路は石を両側に立て、床にも敷いて完成した。
百済古都文化財団の関係者は、「初めて加林城城壁の断面を精密に調査し、百済築城技法を調べたのが成果」とし、「外側は石で積み上げ、内側は土を使った点が百済遺跡である扶餘羅城と同じだ」と述べた。
続けて「加林城は百済が初めて造成した以後、朝鮮時代まで少なくとも5回以上積み直したと判断される」として「外側の城壁を補強し、城の内側に石で壁を作った跡がある」と説明した。
これまで統一新羅時代と朝鮮時代の集水池が確認された城壁内部では横56センチ、縦75センチ、深さ3メートルの高麗時代の井戸が追加で明らかになった。
調査団は加林城西門跡でも試掘調査を通じて2回以上積み直した城壁を発見した。 西門は上部が開放された形で把握された。
百済の東城王23年の501年に築造された加林城は石城山城、靑馬山城などとともに泗沘外郭を取り囲んだ山城だ。 百済城郭の中で旧地名と築城年代が分かる唯一の遺跡として知られている。
三国史記によると、衛士佐平苩加が東城王が自分を加林城に送ったことに恨みを抱いて王を殺した後、ここを根拠地として反乱を起こし、新たに即位した武寧王に殺された。
百済古都文化財団の関係者は「第8次調査で佳林城のダイナミックな変化像を一部確認した」とし「百済排水路と連結される集水施設を発見することが課題」と話した。
(終わり)
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